2009年05月31日

(日)本当は、グアサオチャンシャンなのに……

本当は女の子だったのに……。

明日、6月1日は、気象記念日。

1884年明治17年6月1日、日本初の天気予報が始まった日。その第1号によれば「全国一パン風ノ向キハ定マリナシ、天気ハ変ワリヤスシ、タダシ雨天ガチ」と至って曖昧かつビミョウなもの。

1875年明治8年、東京赤坂葵町に、日本初の気象台が設置され、気象と地震の観測が開始された。1887年明治20年「中央気象台」と名前を変え、1956年昭和31年「気象庁」として、運輸省(現在の国土交通省)の外局に昇格。

その天気予報とは、晴の確率を予報するものではなく、雨の確立を予報するもので、例え曇りでも雨が降らなければ、天気予報は当ったことになる。現在では、当る確立は80パーセントだとか……。

また「日和見主義」と言えば、形勢を見て有利な方に付こうとする考え方で、現在は余りいい意味に使われないけど、昔は「日和」つまり天気を見て行動を決行することを言ったので、雨が降る、降らないは日常の生活や仕事にとって、ものすごく重要な意味を意味を持っていた。晴耕雨読と言う言葉もあるように、昔の人は雨の日は家にいて、できるだけ外に出ないようにしていた。傘をさしても、現在のように道は舗装されてないので、すぐにぬかるみになる。着物は端折らなければいけないし、うっかり鼻緒でも切れようものなら大変。だから、日和であるかないかは重要な関心事だった。

それは子供たちにとっても同じことで、特に晴れてほしい日などは、てるてる坊主に願いをかけたりしていた。このてるてる坊主の習慣は江戸時代中期ごろにはあったものとされている。江戸時代の「嬉遊笑覧」と言う風俗百科事典に、顔のない坊主頭のてるてる法師を吊るして晴天になったら、瞳を書き入れ、お神酒を供え、川に流すと記されている。日本ではてるてる坊主と言うくらいだから、男の子の印象が強いけど、でも、本当は、女の子なのよ。

中国の大雨を降らせる神「東海龍王」と少女(掃晴娘、サオチンシャン)の伝説によるもので、長雨と大雨に弱りきっていたとき、晴娘(チンシャン)という切り紙細工の得意な女の子が、身を呈して懇願し、大雨と水害から町をすくった。その後人々はこの掃晴娘を偲んで大雨に悩むときには、娘たちに命じて切り紙で「雲掃人形」を作らせ軒下に吊るし天に祈った。これを「掛掃晴娘、グアサオチャンシャン」と言った。

この東海龍王の大雨から町を救った「掛掃晴娘」の風習は、やがて日本に伝わったけど、日本では、雨乞い・雨止みは旅僧や修験僧が行っていたので、娘が坊主に変化したようだ。

だが、大陸に近い鳥取県では、箒を持った紙人形に紐が付いて吊るせるようになった郷土玩具が売られている。昔、鳥取は伯耆(ほうき)の国と呼ばれていた。これは「ホウキ(箒)で雨雲を掃き清める」と言う風習がそのまま伝わったところから、そう呼ばれるようになったとされている。

隣りの島根県の出雲と合わせて、雲伯地方と呼ばれ、出雲の地名も日本国母神・イザナミへの敬意を表す言葉「稜威母」から来た説があり、ホウキの国も古代は、伯伎(ハハキ・伯(ハハ)は母、伎は本拠、根拠地)と呼ばれ、出雲の神稜在地は江戸時代、母里藩(母の里)と呼ばれていた。日本神話のヤマタノオロチ(八俣大蛇、八岐大蛇、八俣遠呂智)も、元は肥河(斐伊川)の水神。こうしてみると、鳥取も島根も大陸の影響を多く受けた国なのに、現在は余りインパクトがない……。

また、童謡「てるてる坊主」は、中山晋平曲、浅原鏡村詞。でも、この詞、ものすごく恐い詞。1番「晴れたら金の鈴あげよ」2番「甘いお酒を飲ましょ」なのに、3番は「それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョンと切るぞ」いくら、作り物の簡易人形とは言え、その首を、これまた、チョンと切るとは……。また、それを子供たちに歌わせるとは……。

雨は降りすぎても困るし、降らなくても困る。一番いいのはお天気に不足を言わないこと。なのに、天気予報のおねえさんは、予報が外れなかったことに安堵しつつも、雨が降って残念ねと言う口調で天気予報を「読み上げ」最後に「今日は大き目の傘を持って行きましょう「折りたたみの傘があった方がいいです」「雨がひどいのでタオルなど持っていた方がいいでしょう」と付け加えることを忘れない。当人は親切のつもりかもしれないけど、うるさい、ウザイ……。そんなこと、アンタに言われなくても、言われる前から、みんなやっている。また、その情報、東京だけのだろうが。

ついに、明日から水無月。天から水がなくなる月。梅雨がやってくる。田畑に水がなければ困るし、ありすぎても困る。水害など起きませんように……。


明日は何の日・6月1日
かわいい気象記念日
かわいい電波の日
かわいいバッジの日
かわいい写真の日
かわいいチーズの日
かわいい麦茶の日
かわいいネジの日
かわいい氷の日
かわいい真珠の日
かわいいNHK国際放送記念日
かわいい人権擁護委員の日
かわいい万国郵便連盟加盟記念日
かわいい国税庁創立記念日
かわいいマリリン・モンローの日
かわいいスーパーマンの日
かわいいTUBUの日
かわいい防災用品点検の日
かわいい総務の日
かわいいアイディアの日
かわいい梅肉エキスの日
かわいい清潔生活の日
かわいいチューインガムの日
かわいい梅の日
かわいい省エネルギーの日
かわいい安全衛生総点検記念日
かわいい家庭塗料の日
かわいい小豆の日
かわいい釜飯の日

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2009年05月30日

(土)日本初の女性喫煙者は、あの戦国美女!

殺人煙の行方〜〜。

明日、5月31日は、世界禁煙デー。

世界保健機構(WHO)が1989年平成元年に制定した、国際デーの一つ。

日本に煙草が伝来した正確な記載は無いけど、16世紀初頭にポルトガル人から伝わったものとされている。煙草は最初は医薬品であり、短期間のうちに全国に広まり、1605年慶長9年には長崎で煙草葉の栽培が始まっている。1609年慶長13年、後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王は「煙草説」と言う文を残している。

「海の彼方の遠い異国からもたらされた、新種の薬草これあり、中国古来の医書にも記載なし」また「病人が喫煙によって健康を回復し、健康なものでもタバコを吸えば長寿が期待できる」

そして、日本女性の喫煙第一号は、ナント、あの淀殿!豊臣秀吉に勧められたものだけど、たちまちの内にそのとりこになってしまった。とにかく、片時も煙草を話さないと言うほどのヘビースモーカーで、いくら、煙草が健康によいと信じられていた時代とは言え、これでは体に良いわけはない。医師の助言を受け、秀吉は煙草を広めようとしていたにもかかわらず「煙草禁止令」を出した。なので、歴史に残されている淀殿のヒステリックな行動は、単に性格と言うのではなく、この禁止令が出された後のことで「ニコチン禁断症状」によるものではないかとの説がある。

また、徳川幕府も1609年慶長13年に「煙草禁止令」を出している。別に健康のことを考えてのことではなく、当時京都には「荊(いばら)組」「皮袴(かわばかま)組」と言った無頼集団が、重くて長い煙管を刀のように腰に刺したり、また、手下に持たせて町を闊歩し、庶民を威圧していた。ちなみに、この皮袴組と言う名称は、荊組に対抗して名付けられたもので、荊を通さないとして、実際に皮の着物、袴を身につけていた。

こうした風俗を取り締まるために発布された禁止令だけど、命令が守られたためしは無く、喫煙は日常習慣となり火事の原因にもなっていた。その後も再三禁止令が設けられるものの効果は無く、1624年寛永元年、煙草禁止令は廃止された。その後もたびたび煙草禁止令が出されたけど、全く効果はなく、男女を問わず喫煙文化は広まり、江戸風俗として浸透していった。

そして、1900年明治33年3月、明治政府は「未成年者に対する喫煙禁止令」を公布する。何しろ、江戸時代よりの喫煙野放し天国。男女は言うに及ばず、子供までも平気で歩き煙草が常識になっていた。それまでにも文部省は小学生の喫煙を禁止する訓令を出すものの、それが守られたことはない。中学生では校則での禁止だから、言うに及ばずの状態だった。そこで、明治政府がのり出したと言うわけだけど、意外なところから反対の声が起きた。

それは、ナント花柳界。このことは新聞にも取り上げられ、その行方や如何に、となった。遊郭においては煙草は重要な小道具。場末の見世でも、ほの暗い灯りや布団と共に煙草と煙管がおいてある。遊女遊びの一連のことは「茶煙草盆の礼」から始まる、必須アイテム。特に客あしらいに慣れてない新米遊女がお客を和ませるための最大の小道具。それを取り上げられては死活問題。なんせ、新米=未成年。

だが、それほど大騒ぎしたわりには、実際の反対運動は盛り上がりにかけ、4月から喫煙禁止令はすんなりと施行された。だけど、実際には守らない者が多数いて、芸妓や遊女はともかく、一般の未成年者も警察の補導を受けるものが絶えなかった。

現在でも、未成年者の喫煙は社会問題になっている。また、日本たばこが成人認証カメラを取り付けた自動販売機を設置したけど、それは小学生でも大人と認識するような代物だった。

日本の煙草のパッケージには「煙草はあなたの健康損なう恐れがあるので、吸い過ぎには注意しましょう」と記載されているけど、吸いたいものを吸って、病気になる人はそれでいいだろうけど、副流煙を吸わされる方はたまったものじゃない。だから、世界のタバコの警告文はかなりキツイ。

●イギリス
喫煙はあなたの健康を損なうことを、英国政府は警告する。

●アメリカ
公衆衛生総監は、紙巻タバコの喫煙はあなたの健康に危険であることを決定した。

●オーストラリア
喫煙は人を殺す。

●イタリア
タバコで死ぬ危険は、交通事故の4倍である。

●タイ
保険省令:タバコを吸うとインポになります。

これでも、あなたはまだタバコを吸いますか?


明日は何の日・5月31日
かわいい世界禁煙デー
かわいい古材の日
かわいいそばの日













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2009年05月29日

(金)不可能記念日とスズメ

明日、5月30日は、ゴミゼロの日。

各都道府県の環境美化推進協議会が実施。美化活動と共に、ゴミの減量化と再資源化を促す啓発活動を実施するための語呂合わせ記念日。始まりは、愛知県豊橋市が1975年に、5月30日を、ゴミゼロの日と決めたのが全国へ広まった。

語呂合わせとしてはよくあるパターンだけど、絶対不可能な記念日。ゴミを出さないことは無理にしても、空き缶やペットボトルやタバコのポイ捨ても街中ではあまり見られなくなったものの、ちょっと道がそれると平気で捨ててある。それでも以前よりはマシな気がするので、それだけでも効果があったと言うことだろう。

ゴミはその自治体によって、分別方法が違う。私の住んでいるところはそれほど細かくはないので助かっている。燃えるゴミ(週2回)燃えないゴミ(週1回)資源ゴミ、ペットボトルやビン類と紙の収集が隔週で交互。後は、粗大ゴミと危険ゴミが月に1回。

私は燃えるゴミは週に1度、それも一番小さい袋で間に合っている。トレーや容器に入っているようなものはほとんど買わないので、ゴミもそんなには溜まらない。また、缶やペットボトル飲料も買わないことにしている。でも、私のような人間ばかりだったら、物が売れなくて景気は良くならないけど、私などは至って少数派なので、その心配はないと言うものだ。

これから夏になると、収集日にものすごい量の缶やペットボトルを出す人がいる。家で飲むなら瓶ビールでいいと思うけど、エレベーターの無い5階建てでは、近頃は酒屋も配達を渋るのかもしれないし、また、ディスカウントショップなどて、安売りのときを狙って買い込むのだろう。こうして出るゴミは資源ゴミと呼ばれ、リサイクル可能なごみとなっているけど、これは企業ゴミ。企業は安い飲料を数多く売りたいばかりに、高い容器に入れて便利さだけをアピールする。すべての缶飲料は容器の値段であって、中身は3〜5円程度。ペットボトルにしても、容器代がかなりの比重を占めている。

つまり、容器だけでは売れないので、そこに中身をあれこれつめて、結局は容器を買わせている。そして、その容器はゴミとなる。そのゴミを自治体は税金を使って回収する。つまり、自治体が企業を助けている。缶などは比較的リサイクルしやすいものだけど、ペットボトルは中国へ輸出しているし、近頃燃えるゴミだけでは燃えにくいので、ついでにペットボトルを入れて燃やしているところもある。これでは分別収集の意味がない。それでも、資源ゴミとして無料で持って行ってくれるから、私たちとしては助かるけど、紙は再生紙にする方がよりコストがかかる……。

私は今は新聞を取ってないので、裏が印刷されてない広告が手に入らない。そこで、知り合いの人に裏が使えるような紙があればとお願いしていたら、かなりの紙をくれたのでずい分助かっている。プリンターを持ってないので、すべては書き写さなければならない。そのための用紙を100円ショップで買っていたのではこれもバカにならない。

また、食べられるものを捨てるのが嫌いな私は茶がらも有効利用をと、飲んだ後の茶がらを干していた。干した茶がらは消臭剤にもフローリングのつや出しにも使えるので、ベランダに目の細かいカゴの中で干しているとスズメの声が近くなった。ベランダ側の家には庭に木が植えられているので、スズメやその他のきれいな鳥も飛んでくる。でも、植木鉢一つ無い私の家のベランダに、鳥たちが興味など持つことはなかった。それにしても鳴き声が近いので、そっと覗いてみれば、すぐに飛び去ってしまうけど、どうやら茶がらを食べに来ていたようだ。

スズメが茶がらを食べる!?私には発見だった。それならと皿に茶がらを入れ、ベランダの手すりの端のしっかりした部分に置いてみた。すると、スズメがやってきて茶がらを食べていく。でも、これは以前にもやって見た。その時は100円ショップで買った鳥のエサだった。2階なので、猫の心配もないのでスズメがやってくるだろうと思ってのことだけど、その時はさっぱりだった。でも、茶がらには食いついた。市販の鳥のエサの原料が何であるか知らないけど、やはり、自然の物の方がいいみたい。また、キャベツの真ん中の芯の固いところを、スズメの口のサイズに合わせて刻んだのも皿に載せた。

それでも、自然界ではエサがいつも同じ場所にあるとは限らないので、余りたくさん置かないようにしている。とは言っても、スズメは用心深いので、レースのカーテン越しにしか、茶がらを食べている姿は見られない。ちょっとのことでスズメは飛び去っていく。ある時、飛び去ったと思えば、ちょっと大きい鳥がやってきた。鳥のことに詳しくないので名前などは知らないけど、この大きな鳥も茶がらを食べるのかと思っていたら、しばらくその場にいたけど、食べずに飛び去った。きっと、スズメが何か食べているので「スズメのヤツ、何を食べているのか」と気になり行ってみれば、茶がらだった「何だ、茶がらか。俺はそんなもの食わないよ」

私は自分のことをエコ人間だとは思ってない。私のやっていることは自分の生活の切実さからと、後は身勝手な判断でしかない。スズメのエサやりもそれほどいいことだとは思ってない。でも、今のところ、人に迷惑をかける程にはなってないので、まっ、いいか、みたいな。

でも、昔話「舌切り雀」のおばあさんは、よくもあんなに小さい口の中の舌を切れたものだ……。それにしても、スズメをすっかり安心させた上での「凶行」だから、タチが悪い。


明日は何の日・5月30日
かわいいゴミゼロの日・環境美化の日
かわいいおそうじの日
かわいい消費者の日
かわいい文化財保護法公布記念日
かわいいみその日
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2009年05月28日

(木)伸子張りに引っ張られて……

みんな、着るものです。

明日、5月29日は、呉服の日。

呉服とは、古代中国、三国時代に呉の国から、伝来した織り方によって作られた織物。でも、単に「呉の服」だから「呉服」になったわけではない。古くは呉服は「くれはとり」と言い「呉織」とも書かれれる。くれは「呉」の国の意味、はとりは「はたおり(機織)」の意味で「くれはとり」が音読されのが呉服。呉の織物への憧れもあり、高級な織物を呉服。綿などの安いものは太物と区別され、扱う商品によって、呉服屋、太物屋と店の呼称も違っていた。

現在では着物=和服=呉服は、同義の意味に使われているけど、呉服とは反物のことで、仕立てあがった着物や衣服のことではない。日本では衣服のことを「キるモノ」(着る物)と言っており、本来は単に衣服を意味していた。日本で洋服が普及する以前は、日本の衣服は着物と呼んでいた。明治になって、洋服を着る人か増えてくると、洋物の衣服に対して、着物は和服と呼ばれるようになった。よって、呉服と太物の区別もなくなっていった。

着物は長方形の布を直線的に切って縫い仕上げると言う、布を痛めない縫い方で、体形が変わっても縫い直しができ、平面的なので収納もコンパクト。洋服は、カーブをつけて布を切り刻み、立体的に仕上げる。よって収納も場所を必要とする。

ある意味、着物の方がエコだけど、一重の着物などは丸洗いできるとしても、袷(あわせ)などの高級衣服になると、洗いを兼ねた仕立て直しも大変になってくる。洋服の場合は、分解をすれば、ほとんどの縫い筋はアイロンで消えるけど、着物は縫い糸をほどき、洗ってからの仕上げ方が生地によって違ってくる。

@ 板張り仕上げ
木綿、レーヨン、交織地など、濡れても縮まない布に適している。用意するものは、張り板(一度にするときは1反で4枚)刷毛(はけ)ふのり、または合成糊。張る布は裏を外にして棒に巻いておく。張り板は水平に腰の高さに置く。板にふのりを刷毛で引きながら、布裏が板に付くよう順次広げ、縦、横、布目を通しながら張っていく。板を立てかけ、自然乾燥させる。

A 伸子(しんし)張り仕上げ
光沢や風合いよく仕上がるので、縮緬(ちりめん)やお召、大島、紬などの高級絹製品に適している。用意するものは、張り手棒2本または4本、伸子張り(竹の細棒の両端に針のついたもの)約300本、刷毛、ふのり。解き直した布はあらかじめ、裁断前の反物の形になるよう縫い合わせておく(端縫いと言う)布の両端を張り手棒で挟んで引っ張り、伸子針を両耳に打ち、布裏からのりを刷毛で引いて干す。乾燥後端縫いのところだけ、針を残して(飛び伸子と言う)布耳に水をつけて、針刺しの跡を消す。

B 湯のし仕上げ
用意するもの、湯のし釜、巻棒2本。ちりめんなど強撚糸(きょうねんし)や濡れると幅が縮む絞りなどに適している。のりを付けないのでふっくら仕上がる。布の両端を併せて縫い、輪にしたところに2本の棒を通し、蒸気を当てながら引っ張って幅出しをして仕上げる。

C アイロン仕上げ
糊付けをして、乾かした布全体に霧吹き、布裏を内側にして棒に巻き、シップデ包みしばらく寝かしておく。その後裏からアイロンを当て、別の棒に巻きつける。

第二次世界大戦以前までは、ほとんどの家庭でやられていた作業だけど、伸子張りと湯のしは難しい。これは当時でも洗濯屋(クリーニング屋)に頼む方が多かった。現在でも手洗いできるセーターをクリーニングに出すようなもの。

余談だけど、私は一重の着物なら縫える。でも、本当に着物を着ることがない……。


明日は何の日・5月29日
かわいい国連平和維持要員の国際デー
かわいい呉服の日
かわいいこんにゃくの日
かわいい幸福の日
かわいいキン肉マンの日
かわいいエベレスト登頂記念日
かわいい肉の日
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2009年05月27日

(水)雨と、仇討ちの先にあったもの!

それしかなかったの?

明日、5月28日は、曽我兄弟仇討ちの日。

ちなみに日本三大仇討ちとは、1193年この曽我兄弟と、1634年寛永11年「伊賀上野鍵屋の決闘」の荒木又右衛門のいわゆる36人切りと、1702年元禄15年のご存知、忠臣蔵。

鎌倉時代初期の武士、伊豆の豪族、河津三郎祐泰(かわずさぶろうすけやす)の息子、兄、十郎祐成(すけなり、1172〜93)幼名、一萬(いちまん)弟、五郎時致(ときむね、1174〜93)幼名、筥王丸(はこおうまる)

ことの起こりは、この兄弟の祖父、伊東祐親(すけちか)と従兄弟同士の、工藤祐経(すけつね)が、お互いの荘園をめぐって「取った」「取られた」と昔からもめていた。いったんは平重盛が間に入って、折半と言う話で収まったけど、祐経が公用で京に行っている留守中に、祐親が荘園すべてを横領してしまった。

怒った祐経が自分主催の狩りのとき、祐親を狙うも、その矢は誤って、祐親の息子祐泰。つまり、兄弟の父に当ってしまう。このとき矢を射た二人の者はすぐさま取り押さえられ処刑された。残された祐泰の遺児は、3歳と1歳。祖父も悪いと思うけど、幼い子供たちにすれば「父を殺した恨み」しか残らなかった。

その後の富士川の合戦で、平家方に付いた祖父の祐親は源氏に捕えられ、恩赦によって釈放されたものの、敵に情けをかけられることを「恥」と思った祐親は、まもなく自害。父も祖父も失い、母の再婚先の曽我祐信(すけのぶ)に育てられることになった兄弟。一方の祐経は富士川の合戦では源氏方に付いた。そのことも兄弟に憎しみの心を拡大したようだ。

その後、兄は曽我の家督を受け継ぐべく、元服して十郎祐成を名のり、弟は父の菩提を弔うべく箱根権現の稚児となる。1187年文治3年、源頼朝が箱根権現へ参拝。その時、随参していた祐経を見つけた弟の筥王丸は、復讐しようと付け狙うものの、打つどころか逆に祐経に諭され「赤木柄の短刀」を授けられる。だが、出家を嫌い、箱根を逃げ出した筥王丸は縁者に当る北条時政を頼り(時政の前妻が祐親の娘)烏帽子親になってもらい、元服して、五郎時致を名のる。

そして、1193年建久4年5月28日、その日は朝から大雨。頼朝主催の巻狩り(周囲を囲って獲物を追い込む手法の狩り)は中止。狩りの後で行われる宴会を午前中から始め、御家人達は酔っぱらい、夜になるころには泥酔状態で眠ってしまった。

この機に乗じて、十郎・五郎の兄弟は、遊女と眠っていた祐経を討ち取るのに成功した。このとき「赤木柄の短刀」で止めを刺し、本懐を遂げたにもかかわらず、さらに奥へと進む。奥には頼朝がいる。騒ぎを聞きつけた御家人達は泥酔していたとは言え、そこは鎌倉武士。兄弟に襲い掛かる。兄弟も負けじと10人ほどの武士を切るものの、兄は仁田四郎忠常に討ち取られる。弟の時致はなおも奥へとすすむものの、結局、頼朝の元に行けないまま翌日に取り押さえられ、取調べの後、処刑される。

「吾妻鏡」には、仇討ちを果たしたにもかかわらず、さらに奥へと向かった、時致の答えとして「どうせなら、頼朝様に拝謁した上で、その前で自害しよう」また「曽我物語」では「将軍を殺して地獄の閻魔(えんま)への手土産としようと思った」とある。

だが、それだけだろうか……。祖父、祐親は、頼朝が伊豆で流人の身となったとき、北条時政と共に、その監視役だった。だが、頼朝は祐親の娘、八重姫に手を出し男の子を産ませていた。祐親は平家の世に、源氏の子を孫と認めるわけにはいかず、二人を無理やり別れさせ、涙を呑んで孫を手にかけた。そして、富士川の合戦で恩赦と言う恥辱に耐え切れず、自刃した……。

だが、頼朝は北条時政の娘、政子にも手を出す。結局、主君である平家に義理立てせず、監視の役目を怠った時政がラッキーな余生を歩み、実直に生きた祐親が貧乏くじを引いた。でも、これは兄弟からの見方で、北条側からすれば、時政に先見の明があったと言うことになる。

だが、この時政は兄弟の支援者でもあった。ここに、時政、頼朝暗殺未遂説がささやかれている原因がある。時政は自分の留守中に娘政子に手を出した頼朝が許せなかった。それでも、頼朝は鎌倉幕府の頂点に上り詰めた。それはこの舅である自分の力が大きいのであって、頼朝など飾りに過ぎない。少なくとも時政はそう思っていた。政子には男の子も生まれている。もう、用はなかった。できれば早くいなくなってほしいと願っていた。だから、曽我兄弟の仇討ち心に、頼朝憎しも一緒に植えつけた。兄弟の父の仇の先には、祖父の仇、頼朝がいた……。

兄弟はこのとき、19歳と21歳。それにしても父が殺された時、その意味もわからぬほど幼かったのに、こんなにも憎しみを持ち続けられるものだろうか。母の再婚先の曽我祐信に育てられ、兄は家督を譲られたにもかかわらず、それらを投げ出しても、仇討ちのことしか頭になかったのだ。

だが、彼らは養父のことをどのように思っていたのだろうか。仇討ちをすることが、養父の恩に報いることでもあると思ったのだろうか。確かに、彼らは不遇を囲っていた。大人になっても、御家人にもなれず、重用されるのは祐経の身内ばかり。生き方の多様さがなかった時代、思い込んだら、こまされたら、わき目もふらず突進するしかなかったのだろうか。

いかに時代背景が違うとは言え、その人生が憎しみから始まり、憎しみで終わるほど、無意味なことはない……。


明日は何の日・5月28日
かわいい花火の日
かわいいゴルフ記念日
かわいい国際アムネスティ記念日
かわいいニワトリの日





































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2009年05月26日

(火)あたし、江戸っ娘、菜のさ!

こまっちゃう菜、江戸っ娘菜なのに……。

明日、5月27日は、小松菜の日。

大阪府堺市の小松菜の専作メーカー、有限会社しものファームが制定。5と27で、小松菜と読む。

小松菜は、アブラナ科のツケナ類(ノザワナ、チンゲンサイなどアブラナ科の非結球葉菜の総称)の一種で、原産は南ヨーロッパ。江戸時代初期に日本に入ってきた。その頃、現在の東京都江戸川区小松川付近で、ククタチナ(茎立ち菜)と呼ばれていた。それを品種改良して栽培され始めた野菜。1719年享保4年、徳川吉宗の鷹狩りの折り、この地の鎮守香取社を御膳所とした。その時、神主の亀井和泉の守が、青菜入りの餅のすまし汁を差し上げられたところ、吉宗公はこの香り高い青菜をすっかり気に入られ、その時地名から、小松菜と名づけられたと言う、由緒正しい江戸っ子菜。

小松菜は現在は、全国に出回っているとは言え、関西の会社が記念日登録してたとは……。江戸川の香取神社の隣りは「小松菜屋敷」であり、敷地内には「小松菜ゆかり塚」がある。塚の石は小松石、句碑の形は小松菜の形。小林一茶の歌が刻まれている。1819年文政2年、一茶57歳の句。

小松菜の 一文束や 今朝の霜

関東では白菜と共に冬野菜の代表格。正月の雑煮に欠かせない野菜となっている。ならば、徳川吉宗の鷹狩りの日(調べたけどわからなかった)を、小松菜ゆかりの日として、記念日登録してください。香取神社、並びに小松菜屋敷の方々!

ちなみに、私も雑煮は小松菜とカマボコ。あまりあれこれ入れない。食べるものは他にたくさんあるし、正月の朝から、コテコテしたものは食べたくない。小松菜はビタミンA、鉄分、ミネラルの豊富。カルシウムは野菜の中ではケールに次いで多い。ほうれん草(アカザ科)に比べてアクが少なく、利用範囲も広い。

私は小松菜が大好きで、週に1度は食べている。日持ちしない野菜なので、買ってきたその日に食べるようにしている。ほうれん草のようにアクが無いのもいいけど、今のほうれん草はおいしくない。子供の頃食べていたほうれん草には根っこが付いていて、この赤い根っこの部分をかみ締めると甘くておいしかったものだけど、今の根っこが無くなったほうれん草は、独特の苦味があるだけで、食べる気にならない。

その点、小松菜はアク抜きの必要もないし、あまりクセもないので、味噌汁の具や煮びたし、炒め物によく使われている。私の小松菜の食べ方は至ってシンプル。油揚げと一緒に炒めて、味付けは塩だけ。これが小松菜のおいしさが一番わかる食べ方だと思っている。やたらと、調味料を入れ込むのが料理だと思っているような人には向かない調理法だけど、ちょっと物足りないくらいの味付けと、ちょっと固めの炒め加減で、シャキシャキ感を味わいながら食べる。これにシシャモ(本当はカンペリ)がよく合う。

なんて、安上がりな食事なんでしょう。獣肉を食べるのを止めた、なんちゃってベジタリアンの私にはうれしい、栄養豊富野菜。

特に女性の皆さん、小松菜をもっと食べましょう。
そして、草食系女子になりましょう。


明日は何の日・5月27日
かわいい百人一首の日
かわいい小松菜の日
かわいい日本海海戦の日
かわいいぶつだんの日
かわいいツナの日
かわいい交番の日

こちらは更新してます
花 ゆ れ
http://hanayure.seesaa.net/
ひびわれ鏡
http://hibiwarekagami.seesaa.net/
天の川心中(戯曲)
http://amanogawa-kosmos.seesaa.net/









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2009年05月25日

(月)プルーンに、だまされた!

プルーン、なんていい響きなの。

明日、5月26日は、プルーンの日(毎月)

世界ナンバーワンの生産・貯蔵量を誇るプルーンメーカーのサンスウィートの日本支社、サンスウィート・インターナショナル日本支社が制定。プ(2)ルーン(6)の語呂合わせ。

プルーンはバラ科サクラ属の果樹。和名セイヨウスモモ。
プルーンは、鉄分豊富な女性にはうれしい果物と言われている。でも、確かにカロテンは多めだけど、栄養素としては平均的な果物。鉄分も取り立てて多いわけではない。

ドライフルーツに加工することで、鉄分は濃縮される(100グラムあたり1.0ミリグラム)けど、茹でほうれん草(100グラムあたり0.9ミリグラム)より、わずかに多い量でしかない。日本食品標準成分表による他の果物と比較すると、最下位クラスで、干しアンズや干しブドウの半分にも満たない。

プルーンもレモンと一緒で、宣伝によってものすごく栄養豊富な果物に仕立て上げられ、それが根付いてしまった果物。レモンと言えば、ビタミンC。ビタミンCの豊富な果物と言えば、レモン。それくらいにレモン=ビタミンCの代名詞。だけど、実際はグレープフルーツや柚子よりも少ない。ただ、ビタミンCの基準がレモン〇〇個分と言われるので、ビタミンCの多い果物と言うイメージが定着してしまった。

プルーンも、あの鉄分の多そうな青紫色。さらに、ドライフルーツにすれば、それこそ鉄分の宝庫のような果物に見えてしまう。

人も同じで、一度良いイメージをもたれると、それはずっと付いて回る。また、悪いイメージをもたれると、それもずっと付いて回る。何かでイメージが覆(くつがえ)ることもあるけど、それは滅多にない。

何が、何に良いとかではなく、バランスよく、食べ過ぎないように、おいしいと感謝して食べるのが一番いいのだ!


明日は何の日・5月26日
かわいい東名高速全線開通記念日
かわいいル・マンの日
かわいい源泉かけ流し温泉の日
かわいいプルーンの日
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posted by 松本萌花 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 記念日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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