2010年01月15日

(金)馬でも一番、徒歩でも一番!ここは……

ボクが一番!

明日、1月16日は、近江で待機していた源義経の元へ、東国から大軍が派遣された日。1184年寿永3年のこと。

後白河法皇との対立も頂点に達した、木曽義仲は法皇の住まいの法住寺殿を攻撃、法皇を幽閉し、半強制的に征夷大将軍になってしまう。後白河法皇はすぐさま義仲追討の院宣を下し「義仲追討令」を受け取った鎌倉の源頼朝は「待ってました!」とばかりに形だけの軍儀を開き、大軍の派遣を決定。とは言うものの、すでに準備は出来ていた。そうでなければ6万の大軍、1週間やそこらで集められるものではない。

1184年寿永3年1月16日、頼朝の弟、範頼を先頭に6万の大軍は近江で待つ、もう1人の弟、義経の元に到着。ここで初めて、義経が歴史の表舞台に登場する。

少年時代を京の町で過ごした義経。地の利があるので、敵の作戦も手に取るようにわかる。敵は瀬田と宇治の二つの橋を落として防戦し、瀬田橋と宇治橋に陣を構えると読んだ義経。そこで、こちらはその対岸に陣を敷き馬で川を渡り、一挙に敵陣を襲撃する作戦。

範頼の軍と二手に分かれ、義経は1月20日の朝、宇治川に到着、陣を敷く。予想通り、義仲は宇治の大橋の橋板を皆剥がし、川に杭を打ちつけ網を張り巡らし、敵に川を渡らせない作戦をとっていた。だが、向こう岸に義仲はいなかった。

このとき義仲の軍は1000騎余りになっていた。そこで、今井 兼平に500余騎を与え瀬田川を、根井行親、楯親里に300余騎を与え宇治川を守らせ、義仲は100騎ほどで御所を守っていた。

その宇治川では、この日は水かさが増して波立ち、その流れも滝のように早く、さすがの義経も少しばかり迷ってしまう。淀へ行くか、河内へ迂回するか、水かさが少なくなるのを待つか……。

そこに「私が先陣を」と名のりを上げたのが、畠山重忠21歳。そして、兵を川べりに並べ準備をしている間に、ざぶーんと飛び込んだ馬2頭。いや、2対の人馬。梶原景季(かげすえ)と佐々木高綱。

ここに「平家物語」で有名な、宇治川の先陣争いが展開される。

頼朝は「生唼(いかづき)」と言う名馬を持っていた。景季も高綱もこの馬が欲しくてたまらなかった。出陣の前日、景季は思い切って頼朝に生づきを所望した「必ずや先陣を切って見せます!」だが、頼朝は「この馬は何かあったときにのろうと思っていた大切な馬なので譲れない。代わりにこの生づきに勝るとも劣らない、磨墨(するすみ)を与えよう」と言うことで、景季は磨墨をもらった。

だが、頼朝はその後にやってきた高綱に、なぜか名馬生唼を与える……。

その景季は進軍中の休憩時に生唼を発見して、ショックを受ける。誰がのっているだろうと待ち構えていると、その気配を感じた高綱はあわてて「そんな梶原殿でも譲ってもらえない馬を、この高綱が願ってもとても無理だと思ったので、お咎めを覚悟で盗んできたんです」と、ウソのいい訳をした。景季もこのウソをなんとなく信じてしまった。

そして、先陣を争って張り切って川に入った2人の若武者と2頭の馬。さすが、頼朝から拝領の名馬だけあって、滝のような川も何とか進んでいく。景季の方が少し前を行っていた。高綱は「生唼を拝領しておいて梶原に負けたのではヤバイ」と思い「おーい、梶原殿。先を焦ってばかりではダメです。馬の腹帯が緩んでます。締めないと鞍ごと落ちてしまいますぞ」それを聞いてあわてて腹帯を締めなおす影季。しかし、腹帯はそんなに緩んでいない。しまった謀られた思ったとき、高綱に追い越されていた。

「佐々木殿、川の底には敵が網を張ってますぞ、気をつけなされ」高綱は刀を抜き、馬の足に絡まった網を切りながら進む。景季は少し下流に流されてしまう。高綱は名馬のお陰もあり、その隙に一番乗りを果たす。

「我こそは、宇多天皇の9代後胤、佐々木三郎秀義が四男。佐々木四郎高綱が宇治川の先陣なり、我と思わんものは高綱に組め!」

ちなみにこの2頭の名馬の産地、これも諸説ある。
☆生月は、玉造郡池月(宮城県玉造郡)の生まれ。磨墨は鶯沢(宮城県栗原郡鶯沢町、現・栗原市)産の駒場。金売り吉次が頼朝に寄進した。

☆生唼、磨墨とも現在の豊平町西宗の産。2頭とも龍頭山を駆け回ったところから、龍頭山(広島県山県郡南部)にある滝を「駒ヶ滝」と呼んでいる。

☆南北朝時代に成立した「源平盛衰記」に寄ると、生唼は青森県七戸にある陸奥七戸立(シチノヘダチ)の蟻渡野牧の産。磨墨は青森県三戸にある三戸立(サンノヘダチ)住谷野牧の産と読める記述がある。

☆生唼・磨墨とも奥州藤原氏から頼朝に贈られた南部駒。

☆岐阜の山奥の明宝村には、磨墨の里の表示がある。

でも、ここで忘れてはいけないのが、最初に先陣を切ろうとした畠山重忠。少し遅れをとったものの、川を渡っていたとき、敵の矢が馬の額に当ってしまう。日頃かわいがっている愛馬。このまま見捨てる気にはならず、弱った馬の下に潜ると前足を肩に掛け、背負いながら川底をくぐったり、浮き上がったりしながら何とか向こう岸にまでたどり着く。

その時、重忠の体を引っ張るものがいた。
「誰だ」
「重親です」
「おお、大串か」
「馬を流され、ここまで泳いでまいりました」
大串重親は、重忠に仕える郎党。烏帽子親も務めて元服させた若武者。烏帽子親、烏帽子子は親分子分の盃を交わしたような関係。

重忠はすでにヘロヘロになっている重親の腕をつかんで岸に投げ上げた。岸に投げ出された重親はすくっと立ち上がった。
「武蔵の国の住人、大串次郎重親。宇治川徒(かち)での先陣果たしたり!」と大声で名のりを上げる。これには敵味方、その場にいた者たちはドッと笑った。あっけにとられたのは重忠……。

このように、当時先陣・一番乗りを果たすことが、武将の名誉と武勇のシンボルだった。それにしても、この寒い時期に鎧兜を身につけたままで、愛馬を担ぎ上げながら進む。また、泳いで川を渡る。昔の武将とはどこまですごいのだろう……。

尚も川を渡って押し寄せる義経軍。ひょっとして、山奥の木曽武士は、鎌倉武士がここまでも「水」に強いとは思ってなかったのではないだろうか。その後は凄まじい勢いで義仲軍を蹴散らし、天皇を守るべく一目散に御所を目指す、義経軍。

片や、いざとなったら、天皇、法皇を奪って、北陸か平家のいる再会に落ち延びるつもりにしていた義仲。

そして、義仲VS義経の最終決戦へ……。


明日は何の日・1月16日
かわいい禁酒の日
かわいい囲炉裏の日
かわいいえん魔参りの日
かわいい薮入り
かわいい色の日















posted by 松本萌花 at 01:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史ミステリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
法住寺御所の攻撃・法皇の幽閉は義仲追討の理由か

 頼朝が義仲を追討した理由として、法住寺御所への攻撃や法皇の幽閉を挙げる解説を見かけるが、「吾妻鏡」によれば、頼朝が義仲を追討した正式な理由は平家と和議を企てた事が頼朝への謀反とされたようである。
 「吾妻鏡」寿永三年三月一日(第一章十、(七)参照)の「平氏追討の下文」によると、
「・・・東海道は遠江(とおとうみ、静岡県西部)の守義定(よしさだ)朝臣(あそん)、北陸道は左馬頭(さまのかみ)義仲朝臣、鎌倉殿の御代官として、両人上洛するところである。兼ねてまた義仲朝臣、平家と和議のために謀反の条、不慮の次第である。よって院宣の上に、私に処罰を加え、かの義仲を追討せしめました」
 とにかく頼朝は義経や範頼など平家追討に貢献した多くの武士を謀反の名目で追討している。後の北条氏の行状から推測すれば、北条氏の策略の可能性が高い。
 平家や義仲追討の根拠として、平家物語や吾妻鏡などの解説によると頼朝は「以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)」や「後白河法皇の院宣(いんぜん)」あるいは後白河法皇の密命を頂き、平家や義仲を追討したことになっている。ところが頼朝から九条兼実への書状には、
「頼朝から九条兼実への書状」が「吾妻鏡」文治元年十二月六日と「玉葉」の文治元年十二月二十七日に同一文が記述される。
「頼朝は伊豆国の流人として、特別なご指示も頂かなかったにもかかわらず・・・」
となっている。つまり、なりゆきによって頼朝が勝手にやったが、運よく平家や義仲を追討出来たようだ。

参照
詳細は「朝日将軍木曽義仲洛中日記」
http://homepage2.nifty.com/yosinaka/
http://www.geocities.jp/qyf04331/
Posted by 義仲弁護人 at 2010年01月15日 11:48
川が浅かったのでしょうか。

背が立たない程度なら間違いなく溺れますよね。
Posted by なおと at 2010年01月15日 11:52
こんにちは。 おもしろく拝見しました。 ただ一箇所だけなのですが、大串重親が畠山重忠の郎党と紹介されていますが、大串重親は畠山重忠の郎党ではありません。 烏帽子親と烏帽子子ではありますが、ふたりは血が繋がった親戚関係す。 年は5歳か6歳位しかはなれていない様です。ふたりは兄弟の様な間柄だったと思われます。 大串重親は一国一城の城主であり、「武将」です。 大串重親は決して「郎党」ではありません。
Posted by のり at 2015年12月04日 15:32
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