明日、11月10日は、明正(めいしょう)天皇のご命日。
第109代、明正天皇(1624年元和9年11月19日〜1698年元禄9年11月10日、在位1629年寛永6年11月8日〜1643年寛永20年10月3日)
後水尾(ごみずのお)天皇の次女、興子(おきこ)内親王。母は、徳川秀忠の娘、和子(まさこ)父の命により、7歳で践祚(せんそ、即位の儀式)称徳(しょうとく)天皇以来の859年ぶりの女性天皇。10歳下の異母弟、紹仁(つぐひと)親王(後光明(ごこうみょう)天皇、1633年〜1654年、在位1643年〜1654年)が11歳になったとき譲位。譲位後は太政天皇として出家。
当時、後水尾天皇には配偶者がいたのに、幕府は秀忠の娘、和子を強引に嫁がせる。また、その後も幕府は何かと朝廷に圧力をかけてきた。そして、起きた紫衣(しえ)事件。紫衣とは、紫色の法衣や袈裟のことで、古くは宗派を問わず高徳の僧・尼が朝廷から賜っていた。僧・尼の徳の高さを表すものであり、朝廷の収入源の一つだった。
それを幕府が、許可なく紫衣や上人号を授けることを禁じた。だが、後水尾天皇は、従来の慣例通りに10数人に紫衣の着用を許可する。幕府(3代将軍、家光)は1627年寛永4年、事前に許可がなかったので、法度違反として、紫衣を取り上げるよう命じ、朝廷とともに反対した沢庵和尚はじめ、高僧を出羽国、陸奥国に流罪にした。また、徳川家の乳母である斉藤ふくが、無位無官のまま宮中に上がりこみ、天皇や中宮に拝謁し「春日の局」と言う称号を奪い取っていった事件……。
それら、幕府の圧迫に耐えかねた後水尾天皇は病気を口実に譲位し、まだ7歳の興子内親王を即位させる。あわてたのは幕府。後水尾天皇の譲位などは望んでいなかった。だが、後水尾天皇は強引に即位を推し進めた。これは天皇家に徳川の血を入れぬため、後世までその類が及ばぬように、徳川の血を引く娘を即位させたのだと言われているけど、興子内親王の同母妹の、昭子内親王、賀子内親王は五摂家の近衛家、二条家に降嫁させている。
譲位した明正天皇は、女性天皇の習いとして、一生独身を通さなければならなかった。そればかりか後水尾天皇や幕府の承認がなければ、外出も他人との面会もままならなかった。きっと、お寂しい一生だったと思う。
こう言うお方こそ、政略結婚の「真」の犠牲者……。
明日は何の日・11月10日
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